バイオグラフィー

nori biography

立花紀彦は1954年、東京都世田谷区千歳烏山に父立花健一、母立花恒代の次男として生まれる。

8歳の頃から兄のギターを弾き始める。中学2年の時、長崎県佐世保市に移り、1969年佐世保北高に入学、ウッドストックフェスティバルの影響を大いに受けて、高校でクラスメイトとロックバンドを結成。Crosby Stills and Nash, Led Zeppelin, Pink Floyd, Grand Funk などを学園祭で演奏していた。しかし、特に彼が心を惹かれていたのは、その頃のそれらのロックバンドのアルバムに収められていた静かなアコースティックの楽曲であった。

1973年福岡教育大学に入学。学園祭ではダンスパーティを企画したり、他校の学園祭で演奏。4年生になり大学のロックバンドでボーカルを担当することになる新入生の賀曜子と出会う。このバンドではボサノバ等のカバー曲を演奏していたが、その後2人は作詞作曲のオリジナルソングを作り始める。学外で結成したバンドで1979年、Happy Song Festival 全国優勝。男女2人ボーカルを改め、賀曜子のリードボーカルでのバンド、Kaja (カヤ)でYamaha Popular Song Contest つま恋本選会で最優秀曲賞を受賞。そして1980年の世界歌謡祭に出場し、1981年4月にKaja(カヤ)はプロデビューを果たし、シングル盤を2枚リリースした。1982年にバンドは解散。紀彦と賀曜子は結婚した。

1982年から1989年までは東京電通プロックスという会社でイベントプロデューサーとして働く。1987年には一人娘、操を授かる。

1989年7月に家族でニューヨークに渡り、1992年サンフランシスコへ転居。賀曜子とKayoko Designsという名前でサンフランシスコベイエリアにてJewelryビジネスを始める。

しばらくは時々ギターを触る程度の暮らしであったが、アメリカという異文化の生活の中で、彼の心の支えはアコースティックギターの音色と彼が紡ぎ出す音楽だった。Kayoko Designsの仕事をするかたわら、自宅でコツコツと手作りの音を追求し、アコースティックギターでのオリジナルミュージックを制作し録音するのを日課とするようになった。

2002年 “Pathway in My Dream”、2006年 “Coming Home”、2010年 “Gift of April” の3枚のCDを制作。還暦を迎え本格的に音楽活動に専念しようとした矢先、4枚目のCDの完成を待たずに2015年5月21日エルサリートの自宅で永眠した。

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